たとえば 君が死ぬだけで

[社会]休みに休めるためには働かねばならない

「就職している友人A、バイトをしている友人B、そして何もしてないニートな俺C。一番つらいのは俺」みたいな繰り言を読んだ。


悪性の脛齧りがまたたわ言抜かしよるわと一蹴するべきところかも知れないが、ちょっと待ってほしい。何もしていないというのは確かにつらいのだ。
確かにと言うか、確か、つらかったように思う。過去に3ヶ月弱あった職なし期間を思い返すと、それは楽だったけど、でもつらかった。

生活のなか切り崩されてゆく預金、周囲の人間を媒介して打ち寄せる社会へのひけめ、すえすぼまりに閉じてゆく未来予想からわざとらしく目を逸らす自分。

働いているのは決して楽ではないが気楽だ。皆が日々働き、大変なこともあるが基本は安寧に過ごせている。
働いていないと、日常の中でその「大変」と「安寧」の属性がネガポジ反転する。
働くわれわれがきついなあと思う、朝起きるだの日中拘束だのはなくなり。その代わり、ほんらい習慣的に過ごせるはずの食事や会話や外出が、思わぬ重さ痛さ冷たさをもって自身を苛み始める。

と、長々だらだらとした比較などせず、このひと昔前で言うプータロー状態をいっこの譬えでビシリと表現したいなあと考えていて思いついたのが以下。


「小走りで急ぐA、のんびりと歩くB、そして側溝のドブで仰向けに浮かびたゆたう俺」


ああそうだ。お前が一番つらい。でも、そんなところにいるんだからそれは当たり前なんだ。